長野県下伊那郡阿智村にあるお寺、長岳寺です。
武田信玄が野田城攻めの最中に肺疾患が悪化し、三河から諏訪へ戻る途中、いよいよ伊那の地で息を引き取ったのだそうです。ここで火葬されました。
亡くなったことは3年間伏せておくように、という話は、そうそう、大河ドラマで知ったような気がします。ええ。歴史を勉強している時ではありません。本当に日本史は不得意でした。
山門です。
鐘楼です。
本堂です。信玄の遺品である兜の前立て部分を拝観させていただけます。
それにしても信玄さん。わずか53歳にして呼吸器疾患で命を落とすなんて。苦しかったでしょうね。
ここで、ご住職から法話を聞かせていただけます。とてもわかりやすい下界の人間語で、しかも日本語で、です。
そしてこちらが信玄公の供養塔。
沙羅双樹の木です。諸行無常の、あの木です。椿に似た花が咲きますが、1日で散ってしまいます。はかないですね。
成就門です。
難を天にのがすといわれる南天。実が赤くなりつつあります。
ここも天台宗のお寺でした。
「一隅を照らす。此れ即ち国宝なり」
今自分のいるところで、自分らしく最善をつくして生活すること。お金や財産は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
伝教大師の開かれたお寺です。信玄公の終焉の、という頭文字をつけて観光のお寺であることよりも、ありがたい法話を聞かせていただけるお寺であることに深い意味があるように思います。
多くの方にご住職の言葉がとどきますように。
合掌
武田信玄が野田城攻めの最中に肺疾患が悪化し、三河から諏訪へ戻る途中、いよいよ伊那の地で息を引き取ったのだそうです。ここで火葬されました。
亡くなったことは3年間伏せておくように、という話は、そうそう、大河ドラマで知ったような気がします。ええ。歴史を勉強している時ではありません。本当に日本史は不得意でした。
山門です。

鐘楼です。

本堂です。信玄の遺品である兜の前立て部分を拝観させていただけます。
それにしても信玄さん。わずか53歳にして呼吸器疾患で命を落とすなんて。苦しかったでしょうね。
ここで、ご住職から法話を聞かせていただけます。とてもわかりやすい下界の人間語で、しかも日本語で、です。

そしてこちらが信玄公の供養塔。

沙羅双樹の木です。諸行無常の、あの木です。椿に似た花が咲きますが、1日で散ってしまいます。はかないですね。

成就門です。

難を天にのがすといわれる南天。実が赤くなりつつあります。

ここも天台宗のお寺でした。
「一隅を照らす。此れ即ち国宝なり」
今自分のいるところで、自分らしく最善をつくして生活すること。お金や財産は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
伝教大師の開かれたお寺です。信玄公の終焉の、という頭文字をつけて観光のお寺であることよりも、ありがたい法話を聞かせていただけるお寺であることに深い意味があるように思います。
多くの方にご住職の言葉がとどきますように。
合掌
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